03/27/2025

36歳で日本陸上男子トラック種目初のオリンピックメダリストに
– 朝原宣治さん

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日本開催の大会を楽しんでほしい

世界陸上に6大会、オリンピックに4大会出場した経験を持ち、日本を代表するスプリンターとして活躍してきた朝原宣治さん。2008年北京オリンピック競技大会では男子4×100mリレーで悲願の銀メダルを獲得し、日本中を沸かせました。引退後も、全日本マスターズ選手権で優勝するなど、今なお注目を集める朝原さんに、現役時代の思い出や東京2025世界陸上の見どころを伺いました。

自分の可能性に挑むことが醍醐味

陸上を始めたのは高校に入ってからだそうですね。
「中学生の時はハンドボールをやっていたのですが、高校では何か新しいことをしたいと考えていました。そんな時に友人に誘われて入部したのが陸上部。もともと走るのは得意だったのですが、マラソンなどの長距離は苦手でした。短時間で勝負が決まる競技をと走り幅跳びから始め、大学に入ってから100mにも本格的に取り組むようになりました。」

実力はすぐに開花し、走り幅跳びでインターハイ優勝、大学3年生で出場された国体で100m10秒19の日本記録を樹立。一躍注目される存在となります。

「最初の頃は走るたびにどんどん速くなるのがうれしくて。走り方やトレーニング方法、体のケアの方法などを自分で研究し、試してみるとさらに記録が伸びて、大会に出るのが楽しくなっていきました。もちろん、上に行けば行くほど、100分の1秒の戦いになり厳しさは増していくのですが。その中で、自分の可能性に挑み続けるところに陸上競技の醍醐味を感じるようになりました。」

ケガがきっかけで気持ちがラクに

20年に及ぶ競技生活で、とくに印象に残っている出来事について教えていただけますか。
「1995年の世界陸上、1996年のオリンピックと、二つの大舞台を初めて経験し、1997年の2度目の世界陸上で100mと4×100mリレーでともに準決勝に進出。リレーで当時のアジア記録を更新したことから、決勝進出が夢ではないことに自分も周囲も感じるようになりました。ところがそうした前のめりな気持ちが裏目に出て、無理をしてしまい長期の治療を伴うケガを負ってしまったんです。」

これからというときのケガによる長期離脱。心身共に相当つらい時期を過ごされたのですね。
「世界のトップになりたいと本気で思っていたし、自分が日本陸上界のパイオニアとして世界の舞台に行かなくてはという使命を勝手に背負っていて。そんなとき、足に痛みを感じたにもかかわらず治療やリハビリに十分な時間をとらないまま、ハードなトレーニングをし、結果的にケガを重症化させてしまうことに。どんなにやる気があっても、トレーニングをしても、ケガで試合に出られなければなんの意味もありません。選手としては大失敗です。あのときは本当に落ち込みました。」

選手としての危機をどのように乗り越えたのですか?
「長期の治療を余儀なくされることで、自分のウィークポイントはどこで、それを補うにはどんなトレーニングをすればいいのか、逆に自分の強みを生かすにはどんなフォームにしたらいいかなど、自分の体と向き合いながら新たな方法を模索することができたのです。冷静になれたことで気持ちに余裕が生まれ、心身共にかえってラクになれました。ケガが治って走ったときのあのすがすがしさは今でも忘れません。それからは、勝ち負け関係なく風を切って走る感覚を純粋に楽しめるようになりました。苦しいことも楽しみながらやる、変人の域に達したということなのかな。あのケガによるブランクがあったからこそ、36歳まで現役でいられ、50代になった今もマスターズ大会に出場するなど、楽しみながら走り続けられているのかもしれません。」

オリンピックで悲願の銀メダル

朝原さんは地元関西で2007年に開催された世界陸上に35歳で出場されています。当時の思い出をお聞かせください。
「実は、30代半ばになり、さすがに体力もモチベーションも落ちてきて、引退を考えていたんです。2008年北京オリンピックも目前にあったのですが、オリンピックはすでに3回出場していたので、それで十分。だったら、地元の関西で行われる2007年の世界陸上を最後の舞台にし、自分の走る姿を地元の皆さんにしっかりと見てもらって、競技人生の幕を下ろそうと考えていました。なので、リレーのメンバーには、『自分にとってはこれが最後だから、メダル取らせてくれよ!』と伝えていたんです。」

結果は、100mで準決勝進出、4×100mリレーでは5位入賞。念願のメダルに一歩、及ばずでした。
「これで最後と臨んだリレーで5位になったとき、悔しさよりも、あと少しで夢がかなうという希望を強く感じたんです。もう少し頑張れば絶対にメダルが取れるはずだと。」

それで引退を先延ばしにしてオリンピックに挑み、夢をかなえたのですね。
「世界陸上と同じメンバーでリレーに臨み、僕はアンカー。着順を確かめ、銀メダルを確信したときの興奮と感動は言葉では言い表せません。夢にまで見たメダルを手にし、この瞬間を味わうために、自分はここまでやってきたんだと思えたことは幸せですよね。」

環境にも恵まれている国立競技場

いよいよ今年、東京で世界陸上が開催されます。注目選手をぜひ教えてください。
「まず、女子やり投げの北口榛花選手ですね。世界陸上、オリンピックともに金メダルを獲得し、ダイヤモンドリーグでも優勝という快挙を成し遂げました。それまで日本人女子が太刀打ちできなかったジャンルでの世界一というのは、非の打ちどころがありません。他に決勝進出に注目したいのは男子100mのサニブラウン アブデルハキーム選手、110mハードルの村竹ラシッド選手、同じく110mハードルの泉谷駿介選手。リレーは、しばらくメダルを取っていないので、ぜひ期待したいところです。」

選手たちにどんなメッセージを伝えたいですか。
「自国で開催される世界大会に、選手として参加できるのは、ある意味、巡り合わせだと思うんです。自分の活躍する姿を家族や友人をはじめ、多くの人たちの目に焼き付けてもらってください。それと、重要なことは、あまり張り切り過ぎないこと。2007年に大阪で開催された世界陸上の時は、気負い過ぎていつもの力が発揮できない日本人選手が続出したんです。そうならないように、大会そのものを楽しみながら大会に臨んでもらいたいです。」

観戦などで東京を訪れる皆さんにおすすめのスポットをぜひ教えてください。
「まずは、会場となる国立競技場を存分に楽しんでもらいたいです。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会で陸上競技の会場にもなったのですが、当時は無観客での開催でした。今回はぜひ、スタジアムで存分に選手への声援を送って盛り上げていただきたいです。競技場周辺は緑も多く、散策するのにも最適です。ぜひ観戦がてら東京観光を楽しみにいらしてください。」

朝原宣治
ASAHARA Nobuharu
1972年、兵庫県出身。高校時代から陸上競技に本格的に取り組み、走り幅跳び選手としてインターハイ優勝。大学3年生の国体100mで10秒19の日本記録樹立。日本記録を3回更新。4度目のオリンピックとなる2008年北京オリンピック競技大会では、4×100mリレーにて銀メダル獲得。世界陸上には6回出場。最高記録は10秒02。2008年9月に現役引退。2024年9月に開催された第45回全日本マスターズ選手権では男子100mM50クラス(50~54歳)において10秒93で優勝。

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