04/19/2023

競技場巡りを気軽に楽しんで
-本田 武史さん

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スケートをはじめて35年。滑るのはやっぱり楽しい!

冬季オリンピックの人気競技のひとつに挙げられるフィギュアスケート。今回、話を伺う本田武史さんは、1998年長野、2002年ソルトレークシティと2大会連続でオリンピックに出場するなど、日本男子フィギュア界を切り開いた存在としても知られています。現在、プロスケーターとして後進の育成にも力を注いでいる本田さんに、フィギュアスケートの魅力とともに東京観光の楽しみ方を伺いました。

オリンピックが夢ではなく目標に

日本人ではじめて4回転ジャンプを成功させるなど、日本男子フュギュアスケート躍進のきっかけを作った本田武史さん。スケートをはじめたのは7歳のとき。
「近所のスケートリンクでスピードスケートを習っていた兄の後を追って自分もショートトラックを始めたのが最初でした。そのうち、同じリンクでフィギュアの選手たちがジャンプしたり、クルクルと回っている様子に興味を持ち始めて。面白そうだなと眺めていたら、フィギュアのコーチに『やってみない?』声をかけてもらいました。スピードスケートでタイムを競うよりも、ひとつひとつの技を習得していく過程が自分に合っていたのでしょうね。すぐにフィギュアスケートの虜になりました」
 本格的に競技として取り組むようになったきっかけがオリンピック。
「フィギュアスケートをはじめてからほどなくして、1998年冬季オリンピックの開催地が長野に決まったというニュースが飛び込んできました。『頑張ればオリンピックに出られるかも⁉』と想像するだけでワクワクして。実はそれまで、男子でフィギュアスケートをやっている人は周りにあまりいなかったので、恥ずかしく思うところもあったんです。けれど、自国でオリンピック開催となると訳が違う。もっともっと上手くなってオリンピックに出るんだ!と腹がくくれた。オリンピックが夢ではなく目標に変わった瞬間でした」

五輪のマークの上で滑る特別感

14歳で全日本チャンピオンになり、日本人ではじめて4回転ジャンプを成功。数々の功績を残してきたその裏には日々の努力がありました。
「僕が競技生活を送っていた当時、日本人は体型的にもフィギュアスケートでは不利だと言われていました。それを払拭するには技術で勝負するしかありません。毎日必死で練習し、あらゆる種類の3回転ジャンプを習得したら、次は4回転。はじめて大会で4回転を成功させたときは感無量でした。」
そして、16歳で長野オリンピックに出場。オリンピックの舞台は本田さんにとってどのようなものだったのでしょうか。
「結果は、15位。“オリンピックの舞台に立つ”という目標に到達できた段階で、どこか満足してしまったところがあったのですよね。一瞬、スケートから離れてみようかと考えたものの、気づけば自然と足がリンクへと向いている。やっぱり自分はスケートしかないし、スケートがやりたい。そう思い、もう一度オリンピックを目指すことにしました。それだけ、オリンピックには魅力があるんです。リンクに描かれた五輪のマークの上に立った時の緊張感や特別感は別格。限られた人しかそこには立てず、何億人もの人が注目する夢の舞台。だからこそ挑みたくなるんです。」

7分間のプログラムに込める選手の思い

42歳になった今もプロスケーターとして活躍し続ける本田さん。フィギュアスケートにはどんな魅力があるのでしょうか。
「挑戦する楽しさを味わえることかな。スケート靴を履いて氷の上で立つところからはじまって、前にスーッと滑ることができたら、今度は後ろへ。そしてジャンプしたり、スピンしたり。練習すればするほどできることをひとつずつ増えて、技が磨かれていく。もちろんすぐにうまくいくわけではないし、スランプもあります。でも、氷の上に立ち、滑り出すと、モヤモヤした気持ちが落ち着いてくるんです。滑りながら感じる風が心地よくて『気持ちいい!』となる。今でも、滑っているときがいちばん楽しい!アイスショーなどでスポットライトを浴びると自分のいるべき場所はやっぱりここなんだと実感します。」
 フィギュアスケートはファンもとくに多い競技です。観戦をより楽しむポイントは?
「選手それぞれの個性や得意技を活かしたプログラム構成に注目するのもひとつです。曲に合わせて高難度のジャンプやステップを織り交ぜ、技だけではなく表現力や芸術性も加味されたプログラムは唯一無二のもの。僕の場合、15歳で挑んだ世界選手権のショートプログラムでは、まずは目立つことだと、袖がフリフリになった衣装をまとった『Tico Tico』を選びました。ソルトレークシティ五輪では“勝つため”を追求して、直前に曲目を『ドン・キホーテ』に変更。選手はショートとフリー合わせて7分間をどのように組み立てていくか徹底的に考えます。観戦する際には、曲目や構成から選手の思惑をくみ取ってみるのも面白いと思います。」

観戦も買い物も幅広く楽しめる街

海外遠征のほか、過去にアメリカやカナダを拠点にしていた経験を持つ本田さんから見た、東京の魅力とは?
「各競技場へのアクセスがとてもいい!『KOSE新横浜スケートセンター』は新幹線の駅からもすぐですし、観戦したあとは、電車に乗って違う街へ行き、食事やショッピング出かけることもできる。僕が東京でよく行く街は秋葉原。最新の家電を見つけにショップ巡りを楽しんでいます。秋葉原は家電量販店が立ち並ぶ他、アニメの街としても知られていますよね。ひとつの街でもいろんな側面を持っているのも東京の街歩きを楽しめるポイントです。」
 スポーツ観戦ならどこがおすすめでしょうか。
「両国国技館で相撲観戦するのも楽しいですし、今年のWBCの舞台にもなった東京ドームで野球観戦もおすすめです。全天候型で快適に観戦できるドーム型の球場は世界でもそう多くはないので海外のお客さまも喜ばれること間違いなし。そのほか、第 32 回オリンピック競技大会(2020 /東京)を機にさまざまな競技場が出来たので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。」

<プロフィール>
HONDA Takeshi
1981年、福島県出身。7歳のときにスピードスケートを習いはじめ、9歳でフィギュアスケートに転向。史上最年少の14歳で全日本選手権初優勝し、1998年長野五輪へも史上最年少の16歳で出場。2002年のソルトレークシティ五輪と2大会連続出場を果たす。日本人として初めて競技会で4回転ジャンプを3回成功という偉業を成し遂げるなど、日本男子フィギュア界隆盛の立役者として知られる。現在はアイスショーで華麗な演技を披露するかたわら、指導者、解説者としても活動。