12/05/2024

競泳でパラリンピック6大会連続出場、14個のメダルを獲得
-鈴木孝幸さん

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20年間絶やすことがないメダルを取る覚悟

アテネ2004パラリンピック競技大会以来パラリンピックに6大会連続出場し、パリ2024パラリンピック競技大会では、金メダルを含む4つのメダルを獲得した鈴木孝幸さん。これまでに手にしたメダルは通算14個という、パラ水泳のレジェンドです。競泳を始めたのは高校生の時。以来、20年にわたって世界で活躍し、37歳になった今も進化をし続けられる理由はどんなところにあるのでしょうか。

パラ水泳で体感した“勝つ”喜び

小学校に入る前から水泳は習っていたそうですね。その後、本格的に取り組むことになるのにはどんなきっかけがあったのでしょうか。
「スイミングスクールには6歳から小学5年生頃まで通っていました。その後は、金管楽器にはまって、中学では吹奏楽部に所属。水泳に夢中になったのは高校に入学してからです。高校が進学コースだったこともあり、毎日勉強漬けでストレスがたまる一方だったので、ストレス発散も兼ねて、久しぶりにプールで泳いだら、とにかく気持ちよくて。そこで、以前通っていた障がいのある子どもたちを対象にしたスクールに再び通うようになりました。」

あえて障がい者を対象にしたスクールを選ばれたのにはどんな理由があったのですか。
「小学生の時にも通っていたスクールだったこと、またパラ水泳の大会に出た際に1位になったことが理由のひとつです。この“勝つ”という体験が大きかったですね。うれしいし、面白い。初めて出場した全国大会で金メダルを取ることができ、自分に自信を持てるようにもなりました。」

パラ水泳のどんなところに魅力を感じますか。
「自分の障がいの特性を生かしながら、全身をどうやって使えばより速く泳げるかを考え、自分の泳ぎをつくり上げていくところです。右腕の肘から先と両脚がない僕は、平泳ぎでは先行逃げ切り型。思い切り飛び込んで、浮き上がりから前に出て、あとは抜かれないように必死で泳ぐだけ。一方、自由形になると、脚を使って飛距離を伸ばす選手を後ろから追い上げていくスタイルになります。当然、タッチ差の勝負になることが多いのですが、そのギリギリのせめぎ合いがたまりません。選手それぞれに体の使い方や戦略が違い、レース展開にも動きがあるので観戦する側も見応えがあると思います。」

メダル0個のリオ2016大会が転機に

17歳で初出場したアテネ2004大会では男子4×50mメドレーリレーで銀メダルを獲得しました。
「当時はまだ高校生で部活の延長のような気持ちで試合に臨んでいた記憶があります。ただ、銀メダルを取った時、チームのベテラン選手が大泣きしていて。大の大人が人目をはばからず号泣する姿を見て、パラリンピックは生半可な気持ちで出る大会ではないのだと、その時に気付きました。」

そして、北京2008パラリンピック競技大会では50m平泳ぎ(SB3)で見事、金メダル。その予選の際には48秒49の(当時の)世界記録を樹立し、世界の頂点に輝きます。
「表彰式での光景は今でも忘れられません。大歓声が湧き起こる中、自分が表彰台の一番高い場所へと向かっていく。てっぺんにたどり着いた時に見えた満員の観客席には、日本から応援に来てくれた家族や友達の姿もあって。みんなが喜ぶ姿を見ることができたのもうれしかったです。」

20年間アスリートとして第一線で活躍し続ける鈴木さんにも引退を意識した時があったそうですね。
「メダルが1つも取れなかったリオ2016パラリンピック競技大会の直後は、引退の2文字が頭に浮かびました。ただ、イギリスでの留学期間が2年残っていたので、せっかくなら今まで取り入れてこなかったトレーニングなどを試してみて、それでもタイムが上がらなければその時に決断することにしました。そこからウエイトトレーニングや栄養管理、心理カウンセリングを取り入れたり、泳ぎ方や息継ぎの仕方も変えたりしてみました。するとタイムがぐんぐんよくなってきて。リオ2016大会から2年後のインドネシア2018アジアパラ競技大会で5冠を達成。自信を持って東京2020パラリンピック競技大会を目指すことができました。」

先輩からの学びを後輩へつなぐ

見事復活を遂げた東京2020大会では、100m自由形(S4)での金をはじめ5つのメダルを獲得し、存在の大きさを世界に示しました。
「出場するからには絶対にメダルを取ると決めて臨んだので、その結果が出たということですね。僕の場合、大会に出てそれで満足とか、人生の記念になるといった考えはなくて、自分の役割はパラリンピックでメダルを取ること。それができなくなったら後進にその道を譲るべきだという思いで今もいます。」

37歳で迎えたパリ2024大会では4個のメダルを手にした上、2種目で自己ベスト更新という快挙を成し遂げました。
「自己ベストについては、正直、出せるとは思っていなかったんです。大会前からコーチに伝えられていた目標タイムは50m平泳ぎ(SB3)が48秒0、50m自由形(S4)が36秒8。想像以上に速いタイムでした。けれど、結果ほぼその通りのタイムが出て、50m平泳ぎに至っては21歳の時に出した記録を上回ったわけです。出した自分もすごいけれど、言っていたコーチもすごいなと。」

5種目出場という過酷なスケジュールの中での記録更新やメダルラッシュは驚異的です。
「大会では、競技日程をもとに事前に現地での過ごし方を計画し、いかにベストな状態をつくっていくかが重要。実際、初日のレースの後、翌日の100m自由形の予選までの時間が短くて。宿舎と競技場の移動を考え、睡眠時間を確保するためにも選手村の食堂には寄らず、食事は宿舎で済ませるなどして、調整をしていきました。」

大会へ臨む姿勢はさすがベテランですね。今回はチーム最年長としてメドレーリレーにも挑まれました。
「リレーメンバー最年少として初めて臨んだアテネ2004大会で、僕は先輩たちからパラリンピックでメダルを取ることの大変さや醍醐味を学びました。だから、今度は自分が後輩たちに何かを感じてもらえるようにと、練習や本番でも自分の思いを言動で表すようにしていました。特に、『練習で蓄積してきたことしか本番では出せないよ』ということは何度となく口にしてきました。混合4×50mメドレーリレーの結果は7位。生半可な気持ちではメダルは取れないという経験を後輩たちがその後にどう生かすかは私自身、期待しているところです。」

誰もが社会の役に立てる世の中に

鈴木さんの今後の活躍にも注目が集まっています。
「競技に関しては、今年度いっぱいは国内の大会にも出場することを決めています。新たな挑戦としては、11月24日に『Suzuki Takayuki Cup』を開催しました。この大会は、障がい者も健常者も関係なく、全ての選手が同じメダルを目指して泳ぎ切るインクルーシブな大会。初回となる今大会は1日のみの開催だったのですが、将来的には規模を拡大し、国際公認の大会になることを目指しています。」

鈴木さんの試みが共生社会の大きな足掛かりになりそうです。
「僕は“心のバリアフリー”という言葉をよく使うのですが、ハード面のバリアフリーは日本でも浸透してきているので、あとはソフト面かなと。日本で暮らす中で、障がい者への手助けを躊躇している健常者が意外に多いと思わされることがあります。お互いに遠慮せず声を掛け合える社会になってほしい。そして、誰もが社会の役に立てるように働ける世の中になればいいなと考えています。」

イギリスでの生活も経験された鈴木さんにとって日本の魅力はどんなところにあると感じますか。
「東京などの都市部は、バリアフリーが進んでいる上に、電車も駅員さんがサポートしてくれるので乗り降りはスムーズに行えるし、電車の遅延もほとんどないので車いすでも移動しやすい点が魅力だと思います。そして、なんといってもごはんのおいしさは世界一。自慢の食をリーズナブルに楽しめる居酒屋は特におすすめです。お酒や和食、B級グルメを幅広く堪能でき、値段に対して味のレベルも高い。日本人も外国人も地元の人も観光客も関係なく楽しめると思います。」

鈴木孝幸
SUZUKI Takayuki
1987年生まれ、静岡県出身。先天性の四肢欠損の障がいがある。水泳は6歳から習い始め、高校で本格的に取り組む。早稲田大学教育学部卒業。2009年に株式会社ゴールドウイン入社。パラリンピックには17歳で出場したアテネ2004パラリンピック競技大会からパリ2024パラリンピック競技大会まで6大会連続出場し、通算14個のメダルを獲得。パリ2024大会では、5種目に出場し、男子50m平泳ぎ(運動機能障害SB3)金メダル、男子100m自由形(運動機能障害S4)銀メダル、男子200m自由形(運動機能障害S4)銅メダル、男子50m自由形(運動機能障害S4)銀メダル。2021年、2024年に紫綬褒章を受章。